序
ULTRASONEのヘッドフォンを2本買った。
今まではHFI-580とSignature Proを使っていたのだけど、Signature Proが行方不明になっていて、見つかりそうにないのと、HFI-580ももう思い出がいっぱい過ぎてしまいたいので、その関係である。
私を知らないでこのヘッドフォンについて知りたくてここに来た人へ。 私はそこそこ歴の長い、サウンドプロデューサーであり、ディレクターであり、コンポーザーです。 声優でもあり、アマチュアドラマーでもあります。
両モデルについて
PRO580iは従来のHFI-580とPRO550を統合したモデル。 明らかにHFI-580寄り。割と人気のあったHFI-580と、全然売れなかったPRO550なので当然か。
Signature StudioはULTRASONEでは割とよくある、高級モデル(Signature Pro)のマテリアルを廉価なものに変えて価格を抑えたモデル。 家電量販店だとPRO580iは2.5万円、Signature Studioは7万円くらい。
項目 | PRO580i | HFI-580 | Sig Studio | Sig Pro |
---|---|---|---|---|
形式 | 密閉ダイナミック | 密閉ダイナミック | 密閉ダイナミック | 密閉ダイナミック |
ドライバー | 50mm | 50mm | 40mm | 40mm |
マグネット | NdFeB | NdFeB | NdFeB | NdFeB |
インピーダンス | 32Ω | 32Ω | 32Ω | 32Ω |
出力音圧レベル | 101dB | 101dB | 98dB | 98dB |
ケーブル | 固定式 | 固定式 | 2.5mm | 2.5mm |
重量 | 295g | 285g | 290g | 300g |
生産国 | 台湾 | 台湾 | ドイツ | ドイツ |
知らない人が多いと思うのだが、HFI-580は、単純に「シリーズの真ん中」ではなく(下にHFI-450、上にHFI-780があった)、50mmドライバを採用しており、DJ系の系譜である。 ただでさえ低音強めのULTRASONEにあってとりわけ低音ゴリゴリでEDM感があり、「あ゛ーーードイツっぽい」って感じの音がする。
そもそもAKGと比べてULTRASONEはみっちりした音を出すのだけど、HFI-780は割と音が軽め(AKGに近い)で、HFI-450も音が軽かったので、HFI-580だけシリーズの中でやたらとずしんずしんした音を出すヘッドフォンだった。
PRO580iも50mmドライバーで、HFI-580からリネームしたみたいな感じになっている。 450は消えたため、現行のULTRASONEヘッドフォンの中ではエントリーモデルということになる。
Signature Studioは前述の通り、Signature Proのマテリアル替え版。 Signature Proはモニターヘッドフォン系のフラッグシップモデル。 元々HFIとPROシリーズがモニターヘッドフォン系だった(ただし、HFI-580はDJ系)のだけど、お値段も随分高い。PROシリーズで一番高かったPRO900が6万円くらいだったのに対して、Signature Proは12万円もする。今はSignature Proも随分安くなって、最安8万円くらいで買えるようになったけど。
Signature Proはリスニング向けのEdition9のドライバーを持ってきたモデル。 ちなみに、Edition9は2006年に500本売られたもので、24万円ほどした。
Editionシリーズはモニターにはならない。 高い、というのもあるけど、そんなことよりそもそも限定販売で壊れたときに代替品が手に入らないヘッドフォンはプロユースでは絶対無理。 大して音がよくないMDR-CD900STがスタジオに当たり前にあるのはちゃんと理由がある。
誤解を恐れずに言うなら、Signature ProはそもそもEdition9の量産モデルだ。 基本的な構成も特徴も踏襲している。ただし、PROシリーズの上位ということを意識しているため、PROシリーズっぽい丈夫なつくりに変更されている。だからサウンド的にモニターになっている、ということはなくて、それは上から下までULTRASONEのヘッドフォンの音作りは一貫しているとも言える。
Signature StudioはSignature Proの高級要素が省かれている。 けれど、マテリアルが変わって扱いやすくなって、部品も安価になった(それでもめちゃ高いが)ので、モニターヘッドフォン適性は上がっている。見た目も華美な装飾が省かれた分プロユースっぽい。
そもそもモニターヘッドフォンって
なんのモニターなのかにもよるのだけど、単純にモニターヘッドフォンといったときには音声制作現場のエンジニアリングで用いるものだと思って良い。
つまり、音がどのように出ているかをジャッジするために使うもので、最も敏感になるのはミキシングやマスタリングなどを行うときであり、特にミキシングでは「全ての音が喧嘩せず、混ざりもせず、それぞれが立って馴染んでいる」という状態を作る必要があるため、「音がちゃんと鳴る」ヘッドフォンであることが要件としてすごく重要になる。 意外なほど多くのヘッドフォンは音はちゃんと鳴っていない。
しかし逆に言えば、音がちゃんと鳴りさえすれば、次に大事なのは「変わらないこと」である。 そのため、長く売り続け、部品供給が安定していることは極めて重要な要素になる。 また、交換や修繕が難しい、あるいは導入ハードルが高い高価なものもあまり適さない。 安価で長く売られ、製品も部品も豊富で、なにより「どこにでもある」MDR-CD900STは極めて優れたモニターヘッドフォンである。
ULTRASONEでモニター
前述の通り、そもそもULTRASONEのヘッドフォンはPROシリーズであってもモニター的な音をするわけではなくて、総じてリスニングヘッドフォン的な音がする。
しかし、ULTRASONEのヘッドフォン自体がその癖のあるサウンドとは裏腹に、ちゃんと漏らさず音が鳴ることに大して強い意識があるため、サウンド的にはモニターヘッドフォンとして使えないわけではない。
私はHFI-580を長くモニターヘッドフォンに使っていたけど、導入時はまあまあ悩んだ。 MDR-CD900STに慣れていたし、さすがにヘッドフォンそのものが変わってしまうと基準値を出すまでは使い物にならないし、スタジオなどでMDR-CD900STを使うときの精度もすごく落ちる。
でも、最終的にはHFI-580にした。
だって、音楽制作中だって、気持ち良い音がしたほうがテンション高く作れるでしょ?
PRO580i
買うときは、「まぁ、HFI-580と同じ音がするのだろう」と思っていた。
見た目はHFI-580でアルミだった部分がプラになっていて、HFI-450みたいにちゃっちくなった。
公式ページだとプロテインレザーのイヤーパッドだよと書いてあるけど、標準では銀色のモフモフしたイヤーパッドがついており、プロテインレザーのイヤーパッドは付属品になっている。 これは大きなポイント。ULTRASONEのヘッドフォンって全体的に側圧が強いんだけど、HFI-580は極端に側圧が強くて痛い。むしろ、それで長く装着していられないからSignature Proを買ったまである。 このイヤーパッドになってだいぶ楽になった。快適性ではSignature Studioより上。ULTRASONEのヘッドフォンは密閉性が高いので蒸れるという点でもこちらのほうが快適。SennheiserやAKGのモフモフほどやわくはない。
ケーブルが変わったのもすごくポイントが高い。 HFI-580のケーブルは1mで、何に接続するにも長さが足りない。延長ケーブルが付属しているのだけど、それは4mで、多くの場合それはいくらなんでも長すぎる。 PRO580iのケーブルは2.5mで、ちょうどいい感じに扱いやすい。 また、プラグ部分も改良され、挿しやすく、断線しにくいものになっている。6.3mmプラグのアダプタはねじ込み式になった。
で、肝心の音の話。
なんと、HFI-580と全然違う。 HFI-580はゴリッゴリに押し出しの強い音がしていたけど、PRO580iはそこまでの低音はなくてフラットに近づいた。 性能的にはあんまり変わらないと思う(HFI-580のほうが少し出ている気がする)けど、音は違う。
これだけ違うとモニターとしてはリセットが必要になるから、HFI-580をモニターに使っていて、HFI-580が壊れたからそのままPRO580iかなって人は待ったほうがいい。 基準だしせずにそのままモニターとして継続使用できるものじゃないから、その縛りは意味がない。
また、リスニング用途にHFI-580を使っていて気に入っていた人の代替に使う場合、ちゃんと視聴したほうが良いと思う。 HFI-580が大好きな人ってEDMとかで他にないようなゴリゴリバッキバキの低音が出てるヘッドフォンが欲しいのだと思うけど、PRO580iはそんな音してない。EDMのキックで脳が揺さぶられるようなパワーが出てたりはしない。音の傾向は似てるけど、「おとなしくなっちゃってるから、これじゃダメ」って人は普通にいると思う。
基本的なキャラクター自体はHFI-580を踏襲しており、少しモニター寄りのフラットな音に近づけたような感じ。私の好みでいえばPRO580iよりHFI-580のほうが好き、Signature StudioよりPRO580iのほうが好き。
モニターとしては完璧じゃないけど及第点。 HFI-580のほうがほんの少しだけ解像度が高いような気がするけど、HFI-580は低音が強すぎて音が埋もれたりするので、実用上はPRO580iのほうが解像度が高い感覚で使えるかもしれない。 どのみちミキシングエンジニアでPRO580iを使う人は弘法大師みたいな人しかいないと思うし、DTMレベルでは別に困らない。
HFI-580と比較しないで言うのであれば、私の購入価格は1.5万円くらいだったけど、この値段でこんなガツンとした低音があり、なおかつ音が潰れたり消えたりしないで何聞いてもちゃんと全ての音が聞けるヘッドフォン他にないので、ヘッドフォンに3万円以上出す気がない低音好きはこいつを買えよってくらいだし、いいヘッドフォン使ったことがない全ての人におすすめ!!!!
ちなみに、私は「コスパのいい隠れヘッドフォン」みたいなのが好きで、5000-10000円くらいのヘッドフォンを良く買ってる(聞いたことがないような中華ヘッドフォンを含む)のだけど1 、そんなことするくらいならPRO580iを1本買って愛用するほうが絶対いいし幸せになる。 私は普段は装着感が楽という理由でMarantz Pro MPH-2を使っている(6500円くらい)のだけど、音質の話をするならお話にならないというか、全然違うし、そもそもMPH-2程度じゃ全部の音は鳴ってない。
いい音を求めているのに1万円以下のヘッドフォンを買うの、割ともったいない行為だと思う。けれど、1万円〜くらいのヘッドフォンだと当たりハズレが非常に激しい。PRO580iは好き嫌いは別問題として確実に当たりヘッドフォンに属する。 むしろ、HFI-580みたいな極端な音じゃなくなった分万人受けには近づいた気がする。Signature Studioと比べてもそんなに音の差は大きくないし、むしろリスニング用途ならSignature Studioの音より全然向いてるから、ひょっとしたらあなたの人生で最良のヘッドフォンかもしれない。
Signature Studio
Signature Proは行方不明になっているから比較はできない。 音を記憶で比較するなんて最高にバカバカしいし。
音楽制作では基本的に6.3mm接続だけど、3.5mmのほうはストレートコードで1.2m。ちょっと短い(ただし、だいたいモニターヘッドフォンのケーブルは1.2mm)。 側圧強めで蒸れる。ULTRASONEだなぁ、という感じ。音漏れも少なく遮音性はめっちゃ高い。
飾りっけがなくて、お値段を感じさせない。モニターヘッドフォンだなぁ、という感じ。 たたみ方はULTRASONE共通のもので地味に便利。ハードケースが付属しているのもかなり便利。
さすがに解像度はめっちゃ高い。PRO580iと比べても格段に高い。 モニターヘッドフォンでもここまで解像度高いのはあんまり使うことがない。めちゃ高いモニターヘッドフォンまで含めればもちろん存在はするんだけど、逆に言うとここまでの解像度を欲すると自分専用モニターヘッドフォンを使う、という選択を前提として高いモニターヘッドフォンを買う、ということが必要になる解像度をしている。 いや、Signature Studio(というかSignature Pro)自体がそういう「めちゃ高いモニターヘッドフォン」なのだから当たり前だろうという話だけど。
ただ、勘違いされるかもしれないので言うと、解像度は高けりゃ良いというものではなく、「適切な解像度」というのがある。モニターヘッドフォンとしては高いに越したことはないけど、モニターヘッドフォンでなければならない環境下ではプロの本気の集中力で使うのであって、普通の人じゃ絶対聞こえないような音を聞き分けるモードになっている。 それは単に人がどうというわけではなく、私の耳は特別(感度が高すぎて正常域から出てしまっている)だけど、そんな耳でも何かをしながら高い解像度の音が鳴っていても脳の解像度が追いつかない。ところが、耳自体は変わらないから、無駄に大きなデータが入ってきて、脳はがんばって処理しようとする。だから音は認識できてないのに異様に疲れる。
DTMでも制作過程全てで同じヘッドフォンを使う、というのは私にはちょっと考えられない。 作ってる間は楽でテンションが上がる音がするヘッドフォンを使って(音源選びや音源エディットに困らない程度の性能)、ミックスとかでガチの高解像度ヘッドフォンを使うものでしょう? そういうことをしている人は少ないけど、制作過程ではスピーカーだけどミックスではヘッドフォンみたいな人は結構多い(アマチュアDTMerについては知らない)。逆もいるけど。
あと、モニターヘッドフォンは「いまいちなミックスのいまいちさを発見する」というのが一番重要な仕事なので、音のいまいちさがものすごく明瞭になる。当然、完成形がいまいちなものはとてもいまいちに聞こえる。解像度が低くていい感じに潰してくれればいい感じに聴ける。その意味でもリスニングでは解像度が高けりゃいいというわけじゃない。2
Signature Studioの解像度はリスニングにはだいぶ過剰。つけ心地もタイトだし、リスニングにはおすすめしにくいかな。 制作時は常時使えるくらいのものではあると思うけど、プレイヤーには解像度過剰になるかもしれない。特にシンガーは割と解像度ゆるいヘッドフォンを好む傾向があるし、プレイヤーズモニターとしてはそんなに適性ないと思う。全体の音に気を配る役割を担っているドラムやベースのモニターにはアリ。音質的にも適性は高い。 ただし、ただでさえ蒸れるヘッドフォンだから、プレイ中につけたいとはあまり思わない。
音質は「ULTRASONEとしては」非常にフラットでモニター的。 モニターヘッドフォンとしてはとっても濃い味。 リスニングヘッドフォンでめっちゃ綺麗に音鳴りするように高めていったらモニターヘッドフォンとして使えるようになりました、みたいな感じで、HFI-580みたいな「こんなん他にあるか??」みたいな尖った音ではないけど、Signature Studioを基準ヘッドフォンとして慣らしたら、多分K712 Pro程度じゃ味がしないよ!!みたいになるレベルで濃い味。 なのに音をちゃんと聞いていくとめちゃくちゃ解像度高いから「フラット、だよなぁ…?」ってなる不思議なサウンド。
その意味ではSTAXとかと同じかもしれない。STAXもめっちゃちゃんと鳴るんだけど、キャラクターはすごく濃くて、「間違いなくどの音も明瞭に聞こえてるんだけど、でも味はものすごい濃いんだよなぁ」みたいになる。 いやでも、その混乱する感じが似ているというだけで、音は似てないし、適性も全然違う。 もし、純粋にリスニング用途でSRS-3100とSignature Studioで悩んでる人がいたら、SRS-3100のほうが絶対音はいいよ、と言っておく。
STAXで制作なんかしたことないからわからないけど、SRS-3100って音の変化に対するリニアリティあるんだろうか。あるんだとしたらSRS-3100は最強なのでは、という気がしないでもない。 多分というか絶対そのうち買うことになるだろう。扱いに気を使うヘッドフォンは絶対にモニターヘッドフォンにできないけど。
Signature Studioはその点でもバッチリ。プラグインのつまみを1いじったら、ちゃんと1いじった音がする。コンプやEQいじるときも、「あっ、行き過ぎた!!」みたいなことにならず、すぐ違いが分かる。HFI-580でそれを判定するのはかなり神経を使うし自信もなくなるので、Signature Studioはプロユースのモニターヘッドフォンとしてちゃんと作られてるなぁ、と感じる。
そして価格のことさえ考えなければ、制作中にありがちな「ヘッドフォンを放り投げる」が問題ないタフさがある。高級ヘッドフォン、あんまりラフに使えないものが多いけれど、Signature Proは、モニターヘッドフォンとしてはちょっと許せないお値段することにさえ目をつぶれば、紛うことなきプロフェッショナル・モニターヘッドフォンだ。
また、Editionの音を最も安く聴けるヘッドフォンでもある。 私はEditionはひとつも聴いたことない ので、Editionがどんな音してるかしらないのだけど、Editionもだいたい同じような音がするのだとすれば、Editionって本物のリスニングヘッドフォン、つまり「BGMなんかじゃなく、音を聴き取るためのヘッドフォン」ってことになると思う。 体力をごっそりもっていかれてもいい、長時間聴けなくてもいい、真剣に音楽に向き合いたいんだ、という人であれば、リスニング用にSignature Studioっていう選択肢はアリだと思う。 楽しくBGMを聴くようなヘッドフォンではない。間違いなくない。
それを書いている間にSignature Studioで音楽を聴いてた。すごい疲れた。 でも、こういうヘッドフォンがある生活、絶対経験すべきだろう、という気がしないでもない。