Harukamy's Memoranda

非音楽家のための和声学

和声とは

和声学というのは、文字通り和声に関する学問なのだが、和声とは何かというと、縦または横に並ぶ音の関係性である。

縦に並ぶというのは同時に鳴る音のことであり、横に並ぶというのはメロディなどでの音の変遷のことだ。

和声というときに意味するものは、Chord, Harmony, Tonalityの3つに分かれる。 Tonalityに関しては「調性」という語を用いることが多いが、ChordやTonalityを含めてHarmonyと呼ぶことがあるため、日本語でも同様にこれらを統括して和声と呼ぶわけである。

ここらへんの語と概念に関しては、実はどの文化圏のどの時代の観点に基づくかによって大きく変わってくる。

現代の音楽は1オクターブの中に12個の音がある12平均律が普通であり、人々は12平均律に慣れているので、これ以外の音律の音を聴くと相当な違和感があるはずだ。

ちなみに、12平均律は単純に均等割するわけではなく、完全四度と完全五度の組み合わせを1オクターブに収まるようにすると13番目の音が1オクターブに近くなるため、これを1オクターブちょうどにした上で、そのあまりを他の音に均等に足したものだ。

何度か出てきている「オクターブ」という概念だが、これは周波数が1:2になる音を指す。 つまり倍であり、純正律と同じ値を持つのがドで、例えばドは256Hz, 512Hz, 1024Hzなどになっている。 そして、256Hzのドと512Hzのドは音の高さが倍、つまり周波数が1:2なのであり、これをPerfect Octaveという。

12平均律でない音楽は、日本であれば古い民謡や伝統音楽に聴くことができる。 最も聴く機会が多いのは雅楽だろうか。

基本的には時代が進むほどに音律が12平均律に固定された一方で、それ以外の技法に関しては自由度が上がっている。 ちなみに、現代音楽は12平均律からも解放されようという方向だが、非12平均律の現代音楽は普通の耳ではただの雑音にしか聴こえないので、音楽として認められるかどうかは難しいところである。

長調と短調とモード

「調性」というのは、ある音を中心として、その他の構成音との関係を示すものだ。

まずそもそも、音と音との間の関係を示すことから始めなくてはならない。 例えば「ド」と「レ」は隣り合った音なので、「二度」というように表現する。「一度」だと同一の音ということになる。

だが、との「ド」と「レ」の間の距離は、実は3種類ある。 「ド」にフラットはないが、シャープはある。そうするとレにひとつ近づく。 一方、レはフラットがあり、これもひとつ近づく。さらに、レにはシャープもあり、こちらはひとつ遠ざかる。

ドのシャープとレのフラットは完全一度であるため別として、ドとレの距離は半音1つ分から3つ分まであるわけだ。 これが1つ分のとき「短二度」、2つ分のとき「長二度」と言う。3つ分のときは「増二度」という。

長調と短調を分けるのは、音階における三度にあたる音が短三度か長三度か、ということである。 ピアノで全て発見になる音階は、長調ではドを起点とするハ長調、短調ではラを起点とするイ短調である。 ここはぜひピアノの鍵盤の画像でも見ながら数えて欲しいのだが、ドから三度上の音であるミまでひとつずつ鍵盤をたどると4つある。しかし、ラから三度上の音であるドまでたどると3つしかない。 もちろん、ハ短調はミはフラットになる。

この長調・短調を合わせると30個ある。長調・短調ともに完全八度(オクターブ)までは7個の音で構成されている。 短調はさらに自然短音階・旋律的短音階・和声的短音階の3つがあるのだが、これは専門的すぎるのでおいておこう。 とにかく、長調と短調、まず使われないようなものも含めて、さらに表記が異なるだけで音自体は同じものをまとめると、共に12ずつであり、音階というのは48個あるわけである。

基本として、調性音楽ではその音階を構成する音から成る。つまり、音階は曲を作る上で使える音の制約になるのであり、長音階であれ短音階であれ1オクターブの中の音は7つだから、12あるうちの5つの音は使えない、ということを意味する。

もちろん、楽曲中に階調を変更する「転調」を行えば、他の音を使うことができるが、やはりその状態でも使えない音が5つある。それらを使おうと思ったら、再度転調しなければならない。

同等の制限を以て使う音のパターンが違うものもある。 これらは「旋法」と呼ばれるものであり、沖縄民謡がぱっと聴いたときに「沖縄っぽい」と感じるのは、嬰陰旋法が使われるためだ。ちなみに、嬰陰旋法は1オクターブの中にド・レ・ミ・ファ・ソ・シの6音で構成されている。

ジャズではこうした旋法・調性をまとめて「モード」という概念で呼んでいる。 時代が進むに従って、多彩なモードが生まれてきたし、民謡などにある古典的な旋法が取り入れられたりもしてきた。

音と緊張と調性

「不協和音」という言葉を聞いたことがある人は多いだろうが、元は音楽用語である。 もっとも、現代となってはほとんど死語となっている用語なのだが。

ピアノで隣同士の鍵盤を叩くと気持ち悪い音が出る、という経験をしたことがある人は多いだろう。 三度、五度の音を同時に慣らすのはいい感じなのだが、二度の音や七度の音を慣らすと気持ち悪い音が出る。これが不協和音だ。

これは、音の特性としての周波数の比による。 例えばオクターブを構成する1:2の音は同じうねりを持つため、これらの音を鳴らし続けると同一の音に聴こえる。

そしてもぞもぞするような落ち着かない響きを持つ音がある。これが短七度だ。 さらに短七度の音は長三度の音から見ると完全五度であり安定だ。この「安定しているのにすごく不安になる音」は強い緊張を生む。 五度を根とする長三度、短七度から成る和音を「五度属七の和音」と呼び、英語ではDominant seventh chordと言う。表記は Ⅴ_7_ であり、例えばハ長調ならば五度の音は G_7_ になる。ちなみに、 GM_7_ がG Major seventh chordで、 Gm_7_ がG minor seventh chordである。

音楽の基本は、徐々に緊張感を高めて、一気に安定した音にする、というものの繰り返しである。 だから五度属七の和音は緊張感MAXの場面で出てくる。五度属七の和音からTonicと呼ばれる和音に移ることを解決と呼び、素直にこれが繰り返されるとわかりやすくすっきりした印象になる。 一方、「除々に緊張感が高まって、解決する」という流れをあまり守らないと、すごくもやもやした感じになる。 一度の長和音と比べて一度の単和音だと安定感が低く、解決のカタルシスに乏しいのでちょっともやっとしたテイストになる。「短調は悲しい」というのは、悲しげかどうかは他の要素が占める部分が大きいので疑問だけれど、少なくとも短調のほうがわかりやすくスッキリした感じが出ないわけだから、ちょっともやっとした感じになり、言い換えれば大人っぽい、洒落た印象になることが多い。

さらにジャズでは九度の音が多用される。これをテンション・ノートというのだが、九度は要は二度の音の1オクターブ上なわけで、これもまた緊張感の非常に高い不協和音である。 ジャズの洒落た感じを出すならば、9th tensionを使いこなすのは不可欠だ。

単純でわかりやすい音が音楽として好まれたのは18世紀、モーツァルトの時代までの話だ。 それ以降、音楽はより複雑なものとなり、頻繁な転調を繰り返し、19世紀にはもはや調性を否定するところまで到達している。

日本の流行歌は複雑で緊張感の高い要素と、単純でわかりやすい要素のせめぎあいであり、時代によって頻繁にどちらが優勢かは入れ替わっている。

だが、音楽というのは周波数の中で生み出されるものであり、近年はより音声学的な観点から構成される音楽が増えている。 特にエレクトロ系の音楽に関しては、楽譜の中には一切現れない、音や響きなどがどのように構成されるかという点が音楽の根幹を成している。現代において音楽は楽譜を超越したのである、ということもできるだろう。

ポリモード

時代が進むに従って登場した強力な概念がポリモードだ。 これは、明確な転調でなく複数のモードが組み合わせされるものである。

典型的なのがジャズで多様されるトゥーファイブである。 これは、サブドミナントコード(緊張感高めのコード)である ⅣM_7_ の代用として Ⅱm_7_ を使うもので、「本当に Ⅳm_7_ (サブドミナントマイナーコード) として出てきたコードを別の階調の Ⅱm_7_ とみなす(そのコードはダブルミーニングになる)ことで区切りなしに転調する」というものだ。

ポリモードでよく出てくるのが連続転調だが、普通の転調はわかりやすい形で「転調しました!!」という感じになる。 ところが、トゥーファイブでの転調は、同じ音にふたつの似た役割がある状態になるのでいつの間にか転調していることになる。 これによって、使える音や展開が飛躍的に広がるわけだ。

さらに、ポリモードでは「メロディとコードの階調が違う」なんてことがあったりもする。

ポリモードを使うと、音楽は非常に表現豊かで、複雑で、多面的なものになる。 一方で、常に緊張感がたもたれ、明確な解決がわからなくなってしまうために座りの悪い感じになる。

私はどちらかといえばジャズ系の人間なので、その作り手としての感覚でいえば、「洒落た感じを出したいならポリモード」である。 私は並行和音を使った「みなし転調」を多様する曲が多く、「だいたいポリモードの曲を書いている人」だったりする。

わかりやすいのはTwilight rainy heartで、あの曲はドにシャープがついていることとついてないことが、両方頻繁に出てくる(あの曲はニ短調の曲なので、本来はシャープはつかない)。しかも、同じに見える進行のなかでつくこととつかないことがある。これは、同じに見える進行の途中の音を、他の調の音とみなしているか否かによって次の音でシャープがつくかどうかが変わっているわけだ。

ⅣM_7_ と Ⅱm_7_ は同じ役割の代理コードであるため、変わりに使ってもさしたる影響はないが、どの調で見るかによって役割の異なるコードを共有して転調すると話が違ってくる。 人は自然とそのコードが持っている役割を認識するので、解決するとスッキリするものなのだが、「解決するという過程がなかったのに、転調したことでさっき解決したことにされてしまっている」という事態がおきたりするわけだ。 これはパラレルワールドに飛ばされるようなものであり、また床屋の螺旋状になった看板をじっと見ていると無限に上っているように見えるというのと同じような話で、すごく気持ち悪い感じになる。

だが、その気持ち悪い感じこそが、「おしゃれミュージック」なのである。

音そのものの緊張感

基本的に「音と音の比を表現したときに分母が大きくなる音は緊張感が高い」と言うことができる。

12平均律では「余りを足している」ので、どの音を起点にするかで音の比率が変わってしまう。最も安定した音をしているのは2nで固定されているドだ。

こうしたことから調によって音の印象というのは結構変わる。 カラオケで平気でプラスマイナスした状態で歌う人がいるけれど、私はあれは気持ち悪くて仕方ない。

旋法ほど明確に印象を分けることはないのだが、それでも調ごとの印象というのは明確にあるもので、例えばニ長調は勇壮な印象があり、ファンファーレなんかでもよく使われる。 また、ニ短調は荘厳な印象であり、バッハの一番有名な楽曲である「トッカータとフーガ (BWV565)」(出だしだけは絶対誰もが一度は聞いたことがある曲)もニ短調だ。

使い方の基本

調性に対して素直な楽曲は、予想しやすく、わかりやすく、安定して感じる。 朗らかな曲、ベタな曲、元気な曲を書きたい場合は調性に素直に、響きも素直に書くほうが良い。

一方、おしゃれな曲、屈折した曲、複雑な曲を書きたいときはテンション・ノートやポリモードなど複雑な音と響き、そして意味をもった音楽性の出番だ。

音楽家が楽曲を通しての音を表現する上で

  • 難しい音
  • 複雑な音
  • 汚い音
  • 緊張する音
  • ひねくれた音
  • 洒落た音

は基本的に同じ意味だと思って良い。実際に使う場面はちゃんと分かれているのだが、これは音楽家でないと区別は難しい。

最近は音楽もだいぶ出し尽くしてきたし、高度化しているので、素直な曲は退屈すぎてどうしてもポリモードのような高度なテクニックなしには書けない時代になってきている。そのため、音楽の基本を無視していることを咎めるようなことは今やなくなってきているし、より自由になっている一方で「素直な楽曲なのに全然素直じゃない和音が出てくる」みたいなことも普通にせざるをえなくなっている。

Wrote on:
2020-04-28