概要
彼女がしているので、ディズニーツムツムというソーシャルゲームをやってみた。
いわゆるスマホゲームで、LINE GAMESの一部となる。
はじめに断っておくが、これはツムツムを名指しして批判しているのではない。 ソーシャルゲーム全般の話として、それぞれ調べてきたことに対して、実際にやってみて確認するのに用いたのがツムツムであった、という話である。あくまで具体例にすぎない。
いわゆる大人の事情
基本的なこととしては、ハンゲームという韓国の会社がNHN=ネイバーになり、ネイバーが子会社として日本法人のNHN Japanを設立、その後LINEとNHN Japan(現NHN Playart)に分割した。
元々がハンゲームの会社なので、ゲーム会社である。 LINEとNHN Playartは韓国企業の日本法人、ということになる。 ちなみに、ネイバーの子会社はそのふたつだけではない。
LINEは韓国企業なのは割と知られているが、広く知られているわけでもない。日本法人とはいえ、日本に根付いているわけでもなく、基本的には韓国企業ということになる。
LINE GAMESはコミュニケーションツールであるLINEと連動するゲームである。 LINEが純粋なコミュニケーションツールから、SNSとしての機能をもたせた際には個人情報取り扱いについて随分批判されたものだが、そのSNS機能の一部、ということになる。
LINE GAMES自体は通常通りPlayストア、あるいはApple Storeで入手し、起動するものでLINE経由ではないが、アカウントとしてLINEを使用し、LINEでのログインが必要になる。
開発はNHN Japanなので、ゲーム自体は「内製」となる。NHN Japanが正式にウォルト・ディズニーからライセンスを得て制作したもので、ディズニーキャラクターたちをデフォルメした、ディズニーランドで販売されている「ツムツム」というぬいぐるみをモチーフとしたパズルゲームとなっている。
ゲームの性質とルール
カジュアルパズルゲームであるゲーム「ツムツム」。 基本プレイ無料のゲームだ。
基本的には以下のルールだ
- ツムと呼ばれるユニットが重力落下でステージ内に降ってくる(通常、5種類)
- 近接するツムはなぞってつなぐことができ、3つ以上つなぐと消滅する
- 消滅した場合、その空間に対して他のツムが重力落下し、また空いた空間の分上から補充される
- つないだ数によって得点が入る
- 7個以上つないだ場合、最後のツムの位置にボムが生成される。ボムは周囲のツムを巻き込んで消滅する。
- ボムにはいくつかの種類がある
- 制限時間は60秒で。ただし、後述するフィーバータイム突入時に5秒、タイムボム使用時に2秒加算される
- ツムを一定数消した場合、フィーバータイムに突入する。この時間中は獲得する点数が増す
- 得点を競う
- 一人プレーだが、LINEの友だちで、かつツムツムをプレーしている人の点数はランキングとして表示される
また、ツムツムは多彩なディズニーキャラクターで、その中からプレーごとにひとつを選び、「マイツム」にする。 マイツムにしたツムは降ってくるツムに必ず含まれ、そのツムに設定された数のマイツムを消去すると「スキル」を使うことができる。 スキルの内容はツムの種類によって異なるが、ゲームを有利に進めることができる(主に、大量のツムを消去し、大きな得点となる)。
マイツムにできるのは最初はミッキーマウスだけである。 そのほかはゲーム中で獲得可能な「コイン」と引き換える必要がある。 コインとの引き換えは「ガチャ」であり、何を獲得できるかは運次第となる。種類も非常に多い。
また、重複して引いた場合は、スキルのレベルが上がり、スキルがより強化される。ただし、スキルレベルを最大(現在のところ6)にするためには、ツムの種類にもよるが、最大で40回程度重複する必要がある。
ツムによっては、スキルが弱い、キャラクターに人気がないなど「はずれ」とみなされるツムもいる。 いずれも人気があって確立が低く、比較的確立の高いはずれツムが存在することで射倖心を煽るようになっている。
コインはゲーム中で獲得できるほか、実際のお金で購入できるゲーム内通貨「ルビー」と引き換えることもできる。 単純にお金だけで、すべてのキャラクターを入手し、かつスキルを最大にするにはいくらかかるのか?と計算してみたところ、おおまかな値で算出した限り784,329円となった。100万円に届かないので、全然この手のゲームとしては課金額の上限は良心的なほうだ。 これは、スキル最大のキャラクターはガチャで出現しない、というルールのためだ。そうでなければ青天井となる。
色物
昔はキャラクターを前面に出したゲームは「色物」と呼ばれていた。
恋愛シミュレーションゲームなどキャラクターなしには成り立たないものに加えて、ガンダムなどキャラクター自体に人気があり、キャラクターありきで作られるものを指した。
色物と呼ばれる所以は、キャラクター自体によって確約される販売数がほとんどを占め、ゲーム自体の出来やゲーム性がないがしろにされることが多かったためだ。 これは、現在のアイドルCDが、そのほとんどがファンによる複数買い、あるいは得点目的の購入が占め、音楽は軽視される、という状況に似ている。
ツムツムはディズニーキャラクターありきのゲームであり、典型的な色物である。 実際にそれが販売額にも現れているし、ディズニーキャラクターの多さがコンテンツ持続性となってもいる。
ちなみに、私はディズニーがむしろ好きでない。
問題点
まず何より、楽しくない。
つながるかつながらないかが曖昧で統一的でない、降ってくるツムと並び次第で得点は最大10倍程度振れる(通常3, 4倍は振れる)、スキル効果にムラがある、といった「運次第な部分が大きすぎる」という点もつまらないが、それさえも些細なことだ。
運次第ということではギャンブル、スロットあたりが好きな人なら平気なのかもしれない。 だが、私は辛い。
致命的なのは、勝負がお金次第になっていることと、運営に弄ばれることだ。
スコアの計算式が、
( ツムスコア * 消去数 ) + チェーンスコア
となっている。 ツムスコアはツムの種類ごとに設定されているが、消去していくとツムのレベルがあがり、スコアが上昇する。ツムスコアの低いツムであっても、レベルが上がればスコアはかなり高くなる。
強力なスキルのツムを持っているかいないかで代わる部分は、まぁある意味仕方がない。 それも、たくさんお金を使い、たくさんプレーしている人が有利なシステムではあるが。
だが、このツムスコアのシステム上「同じプレーをしても同じ得点にはならない」。 全く同じプレーをしたとして、ツムがすべてレベル1である場合と、すべてレベル最高である場合だと得点差は10倍程度になる。
これはもう、同じ土俵の上でプレーできないのだ。サッカーでいえば、片方は手を使ってよく、31人のプレイヤーがいて、もう片方は通常通り手で触ってはならず11人でプレーするようなものだ。 いや、おそらくもっと大きい。将棋でいえば、全落ち+相手に全手持ちくらいの差になる。
同じルールでプレイできないのは、ゲームであろうとスポーツであろうと、もはや成立しない話だ。 それがハンデならまだ理解できるが、基本的にはやりこんでいる、うまい人ほど有利になる。初心者はものすごくやりにくく、成果が得られない状況になる。
これは、例え上達しなくてもやり続けていればスコアが上昇するということで持続性を狙ったのかもしれないが、ウレシイよりも明らかに辛い。
私の場合スコアを比較する相手が彼女ひとりだが、女子中高生あたりだとLINE友だちもツムツムプレイヤーも多いだろうから比較されてひたすら辛いだろう。
モチベーションにはなるかもしれない。悔しいから。 だが、その達成によってその先に何かを得られるわけではない。 辛い思いをして成し遂げた先にあるのは空虚だ。
さらに、スコア、スコアの入り方、つながり具合、降るツムのバラバラ度合い、マイツムが降る度合い、スキルの効力、スキル発動に必要な消去数、その他根本的なルールをしょっちゅう運営が変更する。
これだけ変更されると、もはや別のゲームだ。基本的には単純でスコアだけを競うものであるだけに、プレイの仕方と得点内容を変更してしまえば、同じゲームではなくなる。 しかも、その変更は改善ではなく、トッププレイヤーを基準にどんどんやりづらく、ハードルを上げる方向だ。 私がプレイを始めた時点で、既にそこからはじめるのは困難な程だった。
おもしろくないゲームでも、プレイしていてうまくできるようになるのならまだいいのだが、運営の気分次第というのはものすごく気分が悪い。
ツムの降り方に関しては時間帯によってかなりムラがあり、明らかに時間を含めたパラメータで調整している。 加えて、同じツムを連続してマイツムとして使っているとバラバラ度合いが増し、さらにスコアは抑制される。
さらなる問題点
ディズニーキャラクターを使った色物である以上、多数のキャラクターが登場する必然性がある。 それは、コンテンツを楽に拡大でき、また持続できて販売も稼げるということではあるが、制作側としても「出さなければいけない」という半強制が存在する。
人気作品がでなければ不満が高まるし、その作品のキャラクターが弱くてもまた不満が出る。これはプレイをやめる動機になりうるため、非常にセンシティブだ。
結果的に、非常に多くのツムが登場するが、その大半は似通っている。 シンプルなゲームだけにバリエーションを出す術が少なく、アイディアが枯渇するのだろう(それにしても工夫がなさすぎるとは思うが)。
結果的に、ディズニーが好きな人は別として、私のようにディズニーに関心がない人の場合、新しいツムを入手することに対するワクワク感はなく、むしろツムが増えれば増えるほどにツムのスキルレベルを上げることは困難となり、手間ばかりが増す。
また、ごく特殊な話だが、元々私は5歳の時にクリアは至難の業であるRPGのセーブデータを改造して進めたことがある(エンディングは見たが、結局正規にはクリアできなかった。今そのデータを使えば時間さえあればクリアできるだろう。クリア方法を掲載している人がいるから)。
それ以降も基本的には裏ワザを使うなり、データを改造するなりして、ゲームを設計者の想定内で攻略するのではなく、ゲームというプログラムを攻略する、という遊び方をしている。
だが、この手の売り切り型でないゲームの場合、改造行為は犯罪にあたる可能性があるため、できない。プレイするのが苦痛なゲームであっても、ゲームソフト自体を攻略すれば楽しめるのだが、それもできない。楽しむ余地がない。
ゲームとしての価値
ゲームがなんらかの実社会における報酬を生まないのであれば、ゲームの価値とはどれだけ楽しく有意義な時間を過ごせるかである。
ここでいう有意義とは、楽しさが最大であり、あるいはリラックスできた、気分転換できたといったことを含む。
だが、ツムツムに関するディスカッションを見る限り、皆非常にイライラしている。 殺気立って喧嘩ばかりだ。ツムツムを「楽しそうに」プレーしている人をみたことがない。
ゲームが楽しさを見失うのは今にはじまったことではないけれど、通常は想定が間違っているために起きる。
だが、ツムツムに限らずソーシャルゲームは、総じて「販売後に課金する」意識と、リリース後にプレイヤーを左右できる、という面から来ている。
これは、売り切り型のゲームであれば、開発者は「楽しんでもらう」ことを意図する。 売ってしまえばその先購入者には楽しんでもらうだけだし、それによって評判がよくないと販売が広がらずに売上も伸びないし、シリーズとして安定した売上を見込めるものにもならない。
だが、ソーシャルゲームを含むネットゲームの場合、基本的にリリース後にプレイヤーにお金を使わせることができる。また、必死になっているプレイヤーに対していかようにも処置できる。
言ってみれば、神のような全能感にひたることができる。プレイヤーたちがどれほど必死の努力を重ねて技量を磨いたとしても、運営者のさじ加減、例えばルールを変更する、キャラクターを追加する、技の威力を変更するといったことでその努力を簡単に水の泡にすることができる。
そして、そのように翻弄すること自体が、ひどく魅惑であり、それに取り憑かれて不要な、ゲームがおもしろくなくなる変更を加え続けることは、非常に多い。
できるようになったこと、できていたことができなにくなるというのは、非常にプレイヤーたちは苦しむ。そうやって自分の手でやったちょっとしたことでもがき苦しむのをみるのが「快感」になってしまうのだ。
そして、その結果プレイヤーたちは非常にイライラしてくる。ゲームをしていて苛立つばかりで楽しくない。これは依存症の様相を示す悪循環である。
プレイヤー達が苛立っているのは、こうした「裏切り」と感じられる振り回しを行う運営だけでなく、度重なる問題に対して不誠実な対応を繰り返していることもある。金銭的損失があっても、そんなことは起きなかったように振る舞ったり、「全員」に対して行うとしたお詫びを途中で変更したりなんの告知もなく打ち切ったりということが頻繁にあるためだ。
ツムツムの仕組みをよく知らない人は楽しんでいるのかもしれないが、知れば知るほど楽しくない。
カネに汚いやり方
普通、売り切り型のゲームでコンテンツ課金がないのであれば、100万円などという金額は出てこない。
スーパーファミコンの末期が非常に高額化していたが、それでも18800円がせいぜいだった。 初回特典のような、ゲームソフト以外の部分の料金を別にすれば、今では1万円を越えるものが珍しい。
一方、コンテンツ課金なら標準的な購入額ですら10万円を越える。 ヘビーユーザーは何百万円、場合によっては1千万円を越える額を課金する。
これが、コンテンツ課金型のゲームが流行る理由だ。 ちなみに、制作費は何千分の1、製作期間も1/100程度にはなる。「あたればボロい」という考え方だ。
さらに、色物は販売が確実なので、非常に強気な設定にすることが多い。 ツムツムも結構お金のかかるゲームだが、アイマスやガールフレンドなどは青天井で、猛烈な金額がかかる、「しょっぱい設定」となっている。
ソーシャルゲームはゲーム的な質は非常に低い。制作にかかる時間も費用も、本格的なゲームとは比べ物にならないほど小さい。場合によっては、コストなど2桁違うのだ。 ところが、当たれば売上はハリウッド映画並のコストをかけたゲームほどになる。
「儲けられる」上に「金を搾り取り続けることができる」というわけで、「金をとってやろう」という考えが働く。ゲームを作る目的が、「ユーザーにいかに金を払わせるか」になる。
ツムツムの場合、貨幣価値があるのが
- コイン
- ルビー
と2種類ある。ゲーム内での交換はほとんどがコインで行われるが、一部ルビーでなければならないものもある。 また、「ルビーでコインを買う」ということができ、「ルビーは円で買う」ことができる。 2種類あるのは、単に複雑でわかりにくくする、金銭感覚を麻痺させるためのものだろう。
ちなみに、両方ゲーム中で獲得できるが、コインはスローペースでの獲得、ルビーは獲得可能な量自体が限定されている。
ルビーで交換されるのは
- マジカルタイム (時間切れのあと、プレイを10秒延長する)
- ハート (1回のプレイにハート1つが必要。15分で1つ、最大5つまで回復するほか、LINEの友達から贈ってもらえこともできる。贈っても自分のハートは減らない)
- コイン
となる。一方、コインで交換されるのは
- ハピネスガチャ (ランダムで弱いツムを獲得)
- プレミアムガチャ (ランダムで強いツムを獲得)
- ピックアップガチャ (指定された数種類のツムのいずれかをランダムで獲得)
- アイテム:スコアプラス (プレイに対するスコアが加算される)
- アイテム:コインプラス (プレイで獲得するコインが加算される)
- アイテム:経験値プラス (プレイで獲得する経験値というパラメータが加算される)
- アイテム:タイムプラス (プレイタイムを5秒追加する。マジカルタイムとは別枠)
- アイテム:ボム (ボムが発生する消去数を7から6に下げる)
- アイテム:5→4 (登場するツムの種類を5から4に減らす)
- ツムレベルの上限を上げる (ツムの得点が向上するレベルが、5ごとに上昇しなくなり、コインを使わないとそれ以上にはならなくなる)
とかなり多い。
前述のようにツムを揃えるだけであれば80万円もかからない程度なのだが、実際はアイテムを用いることで結果はまるで変わってくる。アイテムを全く使わない場合と全て使った場合では、私では2倍に届かない程度の得点差だが、人によってはやはり10倍に迫るようだ。
そして、アイテムは毎プレイでコインが必要となるため、こちらは青天井である。 特に必要コインの多い「5→4」に関しては、これがないとゲームが成立しない部分が若干ある。これがないとすぐ詰まってしまってゲームとしておもしろくないのだ。
つまり、「ゲームを楽しく遊びたい」という動機にせよ、「友達よりもいいスコアを出したい」という動機にせよ、結局課金しつづけなければ成立しないようになっている。
加えて、様々な「イベント」や「ミッション」を用意しており、これらをクリアすると「ご褒美」がもらえるのだが、クリアするためには多彩なツムが揃っていなければいけなかったり、アイテムを使わなければならなかったり、またツムのレベルも高くなければ困難だったりする。 ゲーム自体は変化がなく非常に単調なので、そのような目標をもったプレイは必要なのだが、そのためには課金しなければ非常に手間と時間がかかる。 ツムツムに関しては課金しなくてもこれらをクリアすることは可能だが、ゲームによっては現実的な時間内でクリアできなくなるため、結局は必須である場合もある。ちなみに、ツムツムの場合でも、部活もしていない高校生が余暇時間の全てを費やすくらいにやらないと全部は厳しい。
払わなくてもいいという形をとってはいるものの、きわめて執拗に払わせようとするのだ。
そのために、ツムにはずれとあたりを用意したり、プレイにうまくいく(プレイヤーの調子ではなく、運要素によって)時といかない時を用意したりして、射幸心を刺激することに関しては非常に力を入れている。
原理
ソーシャルゲームの原理は、主にふたつある。
ひとつは、子供の「友達に自慢したい」「注目されたい」という心理を煽る商法だ。
これは、おそらくそのはしりは2002年から(実質2004年から)のCafestaだと思う。
チャットポータルだが、アバター(ユーザーの化身。ユーザーを示すグラフィックスとして、人型の絵が表示され、課金することによりアバターを着飾るための服アイテムや、ユーザーページの背景画像などを購入できた)とホムピィ(ユーザーページ)の存在が、子供を競わせることにつながり、特に小中学生の課金額がかなりすごかった。
私の周りでも、何十万円は普通、何百万円というユーザーも普通にいた。
類似のサービスは、現在アメーバピグや、アットゲームズとして残っている。
そのような三重や射幸心に弱く、また資金源が本人でないことが普通で歯止めがきかないことから長くターゲットにされてきたが、現在は法規制により、若干抑制されている。
そして、それ以上に金離れのいい客として狙われているのがオタク層である。
こちらは、コレクター的感覚が強く、お金を払うものに対しては糸目をつけない傾向が強い。
ここを狙った売り方は広く浸透し、アイドルビジネスが流行る理由ともなっている。
ソーシャルゲームはこの複合だが、どちらかといえば若年者を狙った部分のほうが大きい。ただし、より直接的に大きい、アイドルマスターやガールフレンドはオタク向けとなっている。
ソーシャルゲームの構造的問題点
ひとつは「金を払わせよう」という考え方にとらわれてしまうこと自体が、致命的だ。
そしてもうひとつが、ゲームのリリース後に世界を支配できることが致命的だ。
この組み合わせは、ゲームに不幸をもたらす。
ゲームは娯楽である。おもしろくなければ意味がない。 だが、満足したものに対する支払いは少ない。不満が軽減、あるいは解消されるかもしれないと考えるためにお金を払う。
奇妙に思えるかもしれないが、「不幸にしたほうが金離れがいい」のだ。
そして、提供側は、おもしろいゲームを作るのではなく、金を払うゲームを作ろうとする。 楽しませるのではなく、最初は楽しいが、だんだんつらく、苦しくなっていき、その苦しみから逃れるために金を払うように仕向ける。
やり始めてしまえば、やめてしまうほうが辛いと思うから、苦しいと思っても金を払ってでもその苦しみを少しでも払拭しようとする。
心理的には負のスパイラルに飲み込まれてしまった時、際限なく支払うようになる。提供側はそれを望む。
明らかに歪んでいる。
ちなみに、同様の原理をもつのが、パチンコや競馬などのギャンブルである。
しかも、その提供側は世界を支配している。トッププレイヤーが何百時間を費やし、ついに獲得した技芸を無意味なものにしてしまうのも容易い。 「さぁ、圧倒的な存在などなくなりました、まだまだチャンスがあります」というわけだ。
固定的な評価軸が存在できない。そして、その全能感のあまり、基幹となるルールに対して手を加えることにもあまり抵抗がない運営が多い。
また、悪意があるわけではなくとも、ゲームバランスというのはゲームの命であり、非常に難しいものだ。リリース後、ゲームバランスの修正を考えずに済む…ということは稀なようだし、それが修正できるとなれば修正したいという欲はわくだろう。 それに加えて、常に新要素を追加しつづけなければならないとなると、どうしてもインフレせざるをえず、バランスの修正なしにゲームを成立させるのは困難だ。 だが、バランスの修正は、一定数のユーザーに「なんだよ!!」と思わせることになることは避けがたい。特にプレイヤー側のものに対する修正は。
ツムツムにおいても、バランス調整に「降ってくるツムをバラバラの組み合わせにしてつなげづらくする」「ツムの距離が近くてもつながりにくくする」といった手法がよく使われる。 本来、ツムツムの魅力というのは、ツムを素早く、長くつなげてどんどん消していく爽快感であるはずで、手が止まる状態になるというのはゲームとしての魅力を失うことになるので、本来であれば「避けたいと考えるべき」ことなのだが、ゲームとしての魅力の本質を見失って、自らその魅力をそぐことも平気でしてしまう。
さらに、基本的に現在のトッププレイヤーを基準してルールが変更されていく。ほとんどの場合、新規参入者は歯牙にもかけられず、その競争には加われない、そもそも楽しめないようにしてしまう。
クリアしてしまえば、やめてしまう可能性が高いし、満たされてしまえばそれ以上支払わない。だから、次々と目標を提示する。「ミッションがありますよ!」「これをクリアしたらこれがもらえますよ!」
そうして、各々のプレイヤーが思い描いていたゴールや楽しみ方を剥奪し、遠くにゴールを設定してそれを目指せと煽る。 そんなことをされれば辛いに決まっているし、それで辛いと思いながらやめるのではなく、それを達成して楽になりたいと思えば思う壺…ということだ。
これが、売り切り型のゲームであれば、作り手に矜持があった。リリースしてしまえばもう手は出せない。苦労して作ったのに遊んでもらえないのは悲しい。手を出せない以上は満足してほしい…
これはクリエイターとしての喜びでもある。
だが、もはやこれは娯楽でもクリエイティビティでもなく、ただの金儲けなのだ。
基本的なことだが、クリエイティビティというのは商業主義に染まってはならないとされている。そうでなくとも、「金儲け以外に大事なことがある」という考え方だ。
音楽にしても、小説にしても、漫画にしても、映画にしても、金儲けだけで作るものではない。
何かを主張するためにせよ、それとも喜びを与えるためにせよ、お金以外の価値がそこには存在すると信じて行われるものだ。なぜならば、それは生きる上で絶対必要不可欠なものではないからだ。
だから、音楽家として商業主義一辺倒なアイドルビジネスは嫌いだ。さらに音楽のコンテンツを形だけのものとして利用するなど、非常に腹立たしい。それは、音がなっていても「音楽」ではないのだ。
商業主義に汚染されたソーシャルゲームが、娯楽として良質なものになるというのは、極めて難しい。提供側が、その価値観から抜け出し、かつそのビジネスモデルからも抜けだしてビジネスモデルを確立しなければならないからだ。 そこから決別してスタートを切ったように見えるゲームさえ、徐々にそのスタイルに飲み込まれてしまっている。
しかも、そのビジネスモデルが中毒的であることを前提にしている。なかなか危険な存在だ。
結論
だから悪だという話ではない。だが、そういうものに対して「自分なりにうまくつきあう」というのは自制心も必要で、気持ちを切り替えねばならなかったりして、なかなか難しい。 特に子供にとっては非常に難しいし、だからこそ子供をターゲットにする。
私の場合、親視点での意見を求められることが多い。 それについても言及すると、別に子供がしているから問題というわけではない。ハマっているからダメだということもない。ただ、冷静さを失わないように、少し離れた視点からの評価ができなくならないように距離感を保てる状態を保たないと、ハマりすぎると続けるのもやめるのも非常に辛いこともある。
コア層向けのゲームなら若干可能性はあるが、基本的にライト層向けのゲームに「メリット」はあまりない(結果的に操作や反射神経を鍛えられるなど多少のメリットがある場合もある。また、ひょっとしたらそこから社会的に大事なことを学び取り、教訓区とするかもしれない)。
大事なのは距離感と、娯楽としてのつきあい方だろう。
もちろん、大人の場合はその人の価値であり生き方である。本人がそれで良いのだというのであれば、余人がとやかく言うことではない。
私の個人的価値観からいえば娯楽として高い価値を見出すことはできないが、そんなもの人それぞれだ。価値観の違いを絶対的な正しさにすり替えてはならない。「正しさ」を論じることは、常に慎重であるべきだろう。
否定的に書いたが、娯楽である。結局はうまく付き合い、有効に活かすことができれば、それが正義だ。
あくまで個人的な希望を述べるのであれば、もっと良心的なビジネスモデルと運営、そして純粋に楽しめる娯楽を提供しようという空気が生まれてくれることを願う。