Harukamy's Memoranda

少しの努力の積み重ねが、本当は報われてるのかもしれない

ぼんやり思ったことだけど、なんとなく確信はある。

多分、具体的な例を挙げたほうがわかりやすいだろう。

私は意外と平凡な人だ。 同意する人は少ないだろうけど、多くのことに取り組んでる、っていうのが基本的なところで、個々で見ると割と凡庸な成績に留まっている。

ただ、この「凡庸」っていう捉え方にポイントがあるんだと思う。

ゲームから学ぶ凡庸

音ゲーで言うと、

ドラムマニアが前作のときにスキル紫グラで、ちゃんと詰めればなんとか赤に載るくらい。

VOEZはSeek Hard(13)が99%出ていて369位だけど、だいたいそこそこちゃんとやってる曲だと2400-4500位くらいが定位置。 全然詰めてない曲だと40000-115000位くらいにいる。

順位の出るゲームで人と競うことを楽しむ、っていうのがあまり好きじゃないからこんなふうにランクが出ることも少ないけど、シューティングゲームのご魔乙で400位くらいにいることが多かったかな。 本当にみんなが本気出すようなイベントだと5000位くらいまで落ちるけど、MAXだともうちょっと上にいったりするし、ちょっとがんばってた時期は全然ギルバトもやらず限界突破もせず、単にレベル上げただけでAクラスにいたりした。

エレクトーンが、普段は6級の曲弾いて、コンクールには5級でも難しめの曲持ち込んだりしてた。

将棋だと、だいたい1級から初段あたりで、全く参考にならない将棋ウォーズのランキングだとオーバーオールで6000から13000位くらい。

そう、こうして言えばわかるように、「明確で絶対的な客観的指標があるもの」って世の中少ないのよね。 ゲームだと結構あるんだけど、それでも単純にPSだけを表すものって少ないと思う。

どれも、まぁやらない人からは「すごい」って言ってもらえるようなものではあるんだけど、やりこんでる人たちの中での話だと全然。 そういう苦しさはいつも感じてるし、そういう中でマウントとられることだって多いから積極的に自分はすごいっては言いづらいよね。

ここで言う「凡庸」って、「がんばれば誰だってたどり着ける可能性がある範疇に収まっていて、超人的ってわけじゃない」っていう意味。 そして、「同じくらいのレベルの人」はすごくいっぱいいて、幅を取れば中央値の中に収まってたりする。そういう「普通」。

「そこにたくさん人がいる」レベルの意味

将棋ウォーズのレベルは将棋を指す、あるいは指したことがある人のレベルと等しくはなくて、世の中3級もあればそこらへんの人と指せばだいたい無双できるくらいの強さはあったりする。

ただ、将棋ウォーズはシステム的に普通に指せるくらいの力があれば4級にはなれるし、最低限将棋のポイントを押さえてれば3級にも上がれるシステムなので、3級って底辺レベルになる。 ところで、3級で求められる「最低限」って、将棋指す人でも「そこそこ指せる人」にならないと理解できない「最低限」なのよ。 器用な人なら将棋に初めて触れた初日で到達できるくらいのレベルではあるけども。

将棋ウォーズの段級位分布は調べた人がいて、最も多いのは2級で、わずかに少ないのが1級。ここらへんが中央で、3級、初段も結構多い。

やっぱり初段の壁というのはそれなりに厚くて、初段に夢を抱く人は結構いる。 一方で、奨励会に入るような人はあっという間に初段に到達したりする。

私は初段でも少し安定した位置まで上がっているくらいの棋力はあり、将棋ウォーズの意味不明なマッチングがなければ60%程度ってところなので、「多くの人が固まっているレベルからは抜け出した」くらいの位置にいる。

でも、威張れるレベルじゃないよね。 初段の人はかなりいるわけだし、才ある人ならちょちょいと到達できるレベルでもある。 (将棋系YouTuberで有名なアユムさんは始めて3ヶ月で初段になったそうな)

というあたりは以前から私も意識してたんだけど、最近別のところが気になってきた。

将棋ってみんな結構、調子による振れ幅がある。 よく言われるのは、徹底的にボコボコにされると、調子が崩れてしまい格下相手にすら全然勝てなくなる。 将棋ウォーズの場合、なんかやたら上の階級のアカウントにしか当たらないとか、ランダム文字列ないかにも捨て垢なのにしか当たらない、といった嫌がらせマッチングがあり、これによる(恣意的な)振れ幅があるんだけども、それは別としても振れ幅というものはある。

漫然とやってるだけだとそうでもないけど、ちょっと調子がよかったり、あるいは定石や手筋を少し勉強すると、振れ幅の中でも少しよくなったりする。 でも、少し強くなるとシステム側で「下がるように」調整されてしまうから、将棋ウォーズの場合、その実感は得にくい。それが明確に数字に出る状態って、将棋ウォーズ側の嫌がらせに負けないくらい強くなったときなので、軽く1階級以上飛び越えないと無理だから。

わかりやすいVOEZのスコアタ

VOEZの得点計算式が全くわからないんだけど、おそらくはFC/AP継続時のみわずかにコンボボーナスがつくようで、最初のgoodまたはmissが出るところが遅いほうが少し得点が出る。 それ以外は単純に4種の評価で決まると思っていいみたい。

VOEZは非常に反応がいいゲームなので、そこそこ性能の出てる端末なら正確に刻む以外に得点を左右する要素はない、と考えていい。 まぁ、そのために画面の滑りっていう要素がすごく関わってはくるけども。

VOEZはすべての楽曲についてAMP(All Max Perfect)が出ていて、1人しか出ていないKeep it up Hard(17)を除けば17の曲でも十数人くらいはAMPしてる。

369位というのはまぁ、すごいと思う。 Seekは単独曲(1曲単位で解禁できる)で、多分、上位0.5%よりは上だと思うし。多分0.1%も切ってる。

でも、Seek Hardはおいとくとしても、比較的プレイヤーの少ない楽曲でも万人単位ではやってるわけで、5000位でも上位数%にはなる。 プレイ動画をみんなが見たがるような華麗なプレイヤーというわけではないけど、下手ってわけでもないくらいではあるんじゃないだろうか。

上位1%を切ってくると中学、高校とかで「学校で全員がプレイヤーのもので1番」とかいうレベルだっていう話になる。 以外と大したことないと思うかもしれないけど、そういう状況になったことがないという人は多いんじゃないだろうか。 スポーツ部とかだったら、学校で一番どころじゃないよね。大会でどこまで行けるかの話になってくる。

VOEZの場合、ただ単純に得点のランキングなので、良いプレイをすれば順位は上がる。 そして、参加人数が多いから、ほんのわずかな更新でも順位は上がる。

ここがポイント1。

そして、順位の上がり方は、下のほうが大きい。 ピラミッド構造だから当たり前と思うかもしれないけど、VOEZだとまるで手も足も出ないような曲であっても60%は出るゲームなので、下のほうにいる間は得点の大幅更新が可能で、それによって大きく順位が上がるという話で、「普通くらいのレベルにいると、同じくらいの得点の人がたくさんいるから、ほんの少しの得点アップでも大きく順位が上がる」。

これがポイント2。

私がSeek Hardで98.3%から99.0%に上げたとき、だいたい3000位くらい上がった。 ぶっちゃけ、98.3%から99.0%の差は「わずか」では全くないんだけど、相応に上がったというか、「めっちゃ上がった!!」って感じなんだけど、 80%あたりだと16とか17みたいな難曲(17が最高難易度)でも5万位とかそこらへんで、1%上がれば数千とかrankが上がるだろう。 なお、Colorful Voice(一番プレイヤーが多いだろう曲)で96.7%から97.5%に上がったときには、rankは11000ほど上がった(約10800位になった)。

つまり、この0.8%の間に、「自分より上の22000人」のうちの半分がいたわけだ。

その「わずか」に手が届かない

考えてみれば当たり前で、「たくさんの人が詰まっているレベル帯」というのは、わずかな差の中の密度が高いわけで、ほんのわずかでも成績が上がれば明確に順位は上がる。

これを補強する話として、「意外と個人差というものは少ない」のだ。 だいたい、ちゃんと取り組んだ上での「普通の人にとっての普通な結果」というのは中央を持って山型になるもので、そのボリュームゾーンから外れる人というのは外れるほどに少なくなり例外的になっていく。

「例外的な人」もそれなりの数がいる上になだらな構成になるから、この事実は理解しづらい面がある。 また、例外的な上位になる人はその普通のボリュームを軽々と飛び越えるから、なおさら普通の中の1点の重みというのは理解しがたい。「普通」では特別な価値を生み出せないからというのもある。

しかし、この「普通」が「ちゃんと取り組んで、出した結果である」という点を考えると割と重い。

考えてみてほしい。

自分より上に5000人いる、と、自分より上に4000人いる、だと結構違う話になる。その1000人は自分の下に並んでいる人になるわけだし。 そして、それがほんの1点差だったりするわけで、誰もが「あと1点とれば到達できるんだから大差ない」と考えるようなものだが、「その1点が取れなかったからその順位」なのであり、ほんのわずかでも一旦本気で出した結果から伸ばすのはとても難しい。

ここまでは明確な指標で得点が出るもので話してきたが、明確な指標がなくて、自分の立ち位置を確認できないようなものであったとしても、同じ話なのではないだろうか。

よほど例外的に自分が不出来なのでなければ、超人的なトッププレイヤーでないとしても、多くの人と同じ壁にぶち当たっている可能性が高く、そして前の一歩にも、後ろの一歩にもたくさん人がいるのではないか。

それは見えないライバルたちだが、その前提に立つと違う景色が見えてくる。

自分自身のことを考えれば、ちゃんと取り組んでいるなら一歩々々進んでいるはずで、昨日の自分、先週の自分と比べれば違いが分からなくても、一年前の自分と比べればまるで違うと自信を持っていえるかもしれない。 そんな、自分でも気づかないような努力の結実は、微々たるものの積み重ねであったとしても、見えないライバルたちの「あと一点」に到達していることになるし、だからもがき苦しんだ努力の間に、努力を怠った何万というライバルを追い越したのかもしれない。

どれほど小さくても、「そんなの同じだろ」と一蹴されてしまうような違いでも、その「一点」に届かなかった人がたくさんいるのだから。

粘る派の体感

私はあまり才覚のあるほうではなくて、物事に取り組み始めたときにはもう「普通の到達点」までいくけど、普通から脱せず凡庸な結果にとどまる、という人だったりする。

でも、続けたことはそれなりに結果が出てるという事実もある。普通の範囲は出られていなくても、それなりに上位には到達したりね。 上位のわずかな人たちの声がやたら大きくて、そのレベルにない人に発言権はないみたいに言われる世界もあるけど、それなりに真剣にやってれば上より下が多いのは当たり前ではある。

努力は大いに量より質だと思うけど、それ以上に続けることが大事だとも思う。

やっぱ壁にぶちあたって伸びないというのは辛いものだし、それでやめていく人は必然的に多い。 そこで例え牛歩であっても諦めない、続けるというのは届かなかった「一点」を積み上げていくことになり、何万、何十万という人を追い越し特別になっていく道のひとつだと感じている。

みんなが同じように上がるならそうはいかないけど、「普通」の領域の中では「自分が壁に感じるようなことは、同じような壁を感じる人がたくさんいる」がだいたい真で、だから自分の確かな成長というのは相対的に見ても確実に高みに近づくものだとおもっていいんじゃないか。

だから

「普通」っていうのは、誰もが足を鈍らせる領域で、多分「行けども行けども」という感じのものなんじゃないかと思う。

だから「普通」になってから「普通じゃなくなる」までっていうのは途方もなく長いもので、そんな一足飛びにいけるのは本当に限られた天才だけの話。

でも、そのやったらボリュームのある「普通」の大きさって才能の差ってわけじゃなく、そこで一歩前に進めなかった人がいーーーーーっぱいいるっていうのがずーーーっと延々続いてる道だろう。

能力や結果の尺度はいっぱいあるけど、たゆまぬ努力で一歩前へ進めたことは、思う以上にとても大きなことなのかもしれない。 そしてそれを積み上げることが価値あるものへと変えてくれるんじゃないだろうか。

Wrote on:
2020-10-25