私にとっての「したいこと」は
事業主としては基本的にやりたくないことだらけで、いつもやりたくないことをやっていた。 その中で楽しみというのはあったりするのだけど、その場合行為としての歓びより成果に対する歓びのほうが大きく、実際に行為として何を望むかというのは曖昧になりがちだった。
会社に入ると全く違うルーティンになった。 その結果、なにをしている時間が一番歓びを感じるかというのは結構はっきりして、それは「書くこと」だった。
とにかく、エディタを立ち上げて文章を書く。それが私のしたいことで、一番モチベーションが高くて、一番楽しめて、一番長時間に渡って集中力を発揮できることだった。
ブログも楽しさ
従来は仕事の移動時間中によくブログを書いていたけれど、最近はそもそも移動が減って、ルートが変わったのでブログを書く時間はわざわざ作らないとなくなった。
とりあえず仕事に慣れる必要があって、あまり仕事のあとにブログを書けない、というか本当に家のことと事業のこととを並行でこなすのでいっぱいいっぱいで何もできてない。
それで辛いのが文章を書く時間が取れないこと、そもそも書くテーマが生まれてこないことだったりした。
そういえば、ブログを書くようになってから(Journal de Akiになってから)毎日すごい量の文章を書いていたな、なんて思う。 すごく辛いときでも、辛い時期でも、だいたいブログは書いていた。 その前文章をあまり書いていないのが驚きなくらいだけど、その前はよくチャットをしていたし、そうでもないのだろうか。 それに、その前はそこまでたくさんの文章を書けるほどの蓄積がなかったんだ。
文章が書けない日々は、辛くて、無気力で、退屈で、私の心は重くなった。
プライベート時間の使い方
私は今、ワークルーム、リビング、寝室の3箇所にコンピュータがある。 最も性能が高いのはワークルームのコンピュータだけど、これは明確な意図を持っている。
ワークルームは仕事をするところであり、徹底的に集中できるように作っているし、作業効率を上げる、様々な作業に応えるということを考えている。
一方、寝室は起きたときとか寝る前にしか使わないものだし、リラックスできるようにしている。 Windowsにゲームを入れていて、全体のWindowsの中で唯一そこそこ起動されていたりするし、Linuxは快適なエクスペリエンスのため徹底的に軽くしてあって、アプリもあんまり入ってない。 主にはTwitterと動画用くらい。
しかし、考えてみるとそれくらいしか入ってないのだから、文章書き、プログラミング、研究以外ではコンピュータほんと使ってないな…と感じたりする。 昔はチャットしたり、2ちゃんねるしたりしていたけど。
リラックスのために、寝室にはとことん仕事を持ち込まないと考えていた。 唯一、小説だけは8割趣味だから寝室でも書けるようにしたし、それを想定して寝室のキーボードは(一番文章書きに向いている)Libertouchにした。
そうやって神経を使って寝室から仕事を切り離したんだけども、結果私の心は摩耗してしまった。
寝室にブログを持ち込んだら、急に気持ちが楽になった。 ブログが寝る前のちょっとした時間にも書けるようになり、ブログを書くような環境を作ったことで、思い立ったときにコードを書けるようになった。
そもそも私は布団をたためば仕事場になる、みたいな環境でずーーーーっとやってきたから、別に仕事が切り離せなくたって大してストレスにならないし、思い立ったときに思い立ったことができないことのほうがストレスになるんだなって感じた。
私にとっては思いついたことを思うようにできること、自分が望む自分のことを自分で決定できる自由こそが癒やしであり、それを阻まれることがストレスなんだと、改めて感じる。 もちろん、そんなことは知っていたけど、本当にそれが大きいんだと改めて感じた。
日々を過ごすために、自分のことをちゃんと理解した上で、自分の領域ではちゃんと負担少ないようにしたいね。