Harukamy's Memoranda

転職活動のときのおはなし

これは私の転職活動の簡単な記録である。

この記事を残す意図はいくつかに分かれ、いずれも明確である。

まず、かなり苦労したということだ。 期間的には8ヶ月ほど、お祈り数は230ほどにもなった。 この事実はなかなかうまくいかずに悩んでいる人にとって、救いになるかもしれない。

条件的には不利なものを取り揃えていること。 不利な条件にあっても戦いようがあるということを示すことで、希望を与えることができるかもしれない。

技量に長けているということ。 これはスキルを磨くことで道が開けるかもしれないということと、スキルは一般に思われているほど転職において有利に働かないということを示すことになるだろう。

また、人によって参考になる部分が異なる形で多数存在するため、要約ではなく事象や事実の列挙の形をとる。 それぞれの人としては読みづらいだろうが、ご了承いただきたい。

この話の前提として、私は全くつながりを持たないため、誰かに頼るという選択肢はない。

私について

基本的にこのサイトは初見の人は想定していないのだが、一応説明しよう。

職業的な肩書としては

  • IT技師・サービスマン・講師・エヴァンジェリスト
  • 音楽家
  • 作家
  • 声優

というところになる。

経歴的にはモーターサイクルインストラクターや自転車屋もやっていたことがあるし、社長をしてたこともあるのでかなり変わった経歴になっている。恐らく、同様の経歴を持っている人はいないだろう。

今回の転職活動はITに絞って行ったので、それ以外の部分はあまり関係がない。 ITの技量に関してはChienomiを見てもらうのが早い

特徴的なのは技術の広汎さだ。 基礎部分に強く、理解が深い。特にLinuxに対しての理解があり、satさんやがちゃぴん先生のように具体的に即答できるような人ではないが、割とカーネルの実装などに関しても知識はあるほうだ。

手を広く知っているという面もあり、問題に対する解決策が柔軟で最適解を選べるのが強みだ。

これはフルスタックエンジニアという意味もあるが、それ以上に手広く、経験も幅広い。 そのため職務経歴書がいかつくなりやすく、Paizaのスキルシートだとこんな感じになる。

Paizaのスキルシートから抜粋

だが、これはいわゆる職業エンジニアの感覚で語るのは間違っている。 非常にハッカー的な話なのだ。

まず自然な話として何か新しい技術が出てくれば触るだろう。 何か新しい言語が出てくれば触るだろう(と言いながらRustを触ってないが)。

既存のサービスに不満があれば作るだろう。既存のソフトウェアに不満があれば作るだろう。

パッケージを作ったり、ソフトウェアを開発する人がいなければ自分でやるだろう。

そういう話だ。 だから、世の中で何が好まれているかというのはあまり関係ない。 厳密に言えば、「このライブラリ(あるいは言語処理系)は長くサポートされるか」はソフトウェアのライフタイムに関わってくるから一切無視して作れるわけでもないのだが、要は「適切な方法を選択し、最終的に実現すれば良い」のである。

プログラミング言語も幅広い。得意なのはRuby, Perl, Zsh, JavaScriptだが、PHP, Python, Luaあたりは十分実用に入るくらいには使える。さらにいくつかの言語は実用的だが、かつてそこそこ実用的に使っていた言語でも、長く使っていないので今や使えないというようなものもある(例えばBASIC, COBOL, Pascal, FORTRAN)。

Paizaでも3言語で提出している

また、コンピュータに関する知識はあっても業界知識はないし、技術用語と業界用語がごっちゃになっている人も多いが、業界用語や業界常識は知らない。だから、「ITエンジニアとして云々」ではなく、あくまで技術者としての話になる。

ただし、以前だと純然たるハッカーだったのだが、5, 6年ほどに渡ってIT事業をやっているわけで、ちょっとそこらへんで話が複雑になる。

まず、IT事業といってもIT業界の中でやる形ではない(お客様は基本的にITの者ではない)ため、SES的エンジニアの常識とは相容れないが、時々IT事業者による依頼もあるため、IT業界を覗くことはある。 また、そうでなくともベンダーがいなくなった会社のレガシーシステムを触ったりすることもあるため、仕事に関しては純粋に好みでやっているわけでもないし、事業展開のために個人的な活動ではあまり触らないものに関する知識も備えている。

だから、私は基本的にWindowsは触らないが、仕事ではWindows Serverを触ることもあるし、Javaのコードを読むこともある。JavaScriptはバニラで使いたい派だがJQueryは使えるし、社会的な概念上のお仕事もできる。 ついでに言えば、経営とか会計とか税務だってやるのだ。

ただ、これはあくまで個人事業のサービスとして提供できる範疇に限るため、その範囲で触ることがないようなものには必然的に疎い。 例えばAWSやKubernetesやCiscoルーターなどは疎い。 プログラミング技巧としては極限条件のものをやったりはするが、設備がいるようなものはなかなかやらない。

「IT業界的なお仕事」という話を置いてもやや偏りはある。

例えば、競技プログラミングは得意ではない。 この問題は数学の素養が全くないことである。中学二年生程度まではやっていたはずだが、今や因数分解も覚えているか怪しいので、全くないといって差し支えない。下手すると算数ですら忘れている。 これはそれで良いとしているような話ではなく、当時から悩ましい問題であった。体が弱く休みがちであるために、連続して授業を受けていないとわからなくなってしまう科目(主に数学・理科)に関しては全くできなくなってしまった。 しかし結局これを補うチャンスもなく、得意分野で勝負せざるを得なかったことから苦手分野となった数学は切って捨てるしかなかった。 Paizaは一応Sを取ってはいるが、AtCoderではABCでDが解けるかどうかの間にいる。D問題が数学的でなければだいたい解けるが、D問題が数学的だと全く解けない。 これはよくて緑という話だから、あまりぱっとしない(なお、現状参加数が足りていないので灰色である)。

戦略的にも基本的に設計偏重である。 問題そのものを噛み砕いて易化することを重視しているため、比較的簡単な解や手段を組み合わせてゴールに到達することを基本としている(Unixismである)。 それ自体は悪いことではないはずだが、スキル的には複雑なものを扱うことが少ないという面があり、複雑なテクノロジーに総じて疎い傾向がある。

また、低レイヤーには弱い傾向がある。 この場合、低レイヤーというのはOSとかネットワークとかそういう話ではなく、物理的な世界に近い事象に弱いのである。 だから、IoTとかは得意ではないし、電子工作とかも不得手である(身体制御に問題があり、細かい動作が難しいので尚更に)。 また、ネットワークに関する知識はあっても、電気や信号に関する知識は割と苦手なほうだ。

転職条件

基本的な条件としては、IT系で探している以外にはそれほど要求はない。最初から「仕事の内容はさしてこだわりがない」と言っているし、営業など負担が大きく適性に乏しいものは除外するとしても、自分ができる限りのことであれば構わないという考え方である。 条件は第一に働きやすさであり、第二に報酬条件である。

実際に提示した報酬条件は詳細は伏せるが、希望値は結構多くの求人において報酬上限を上回るものである。 また、最低条件値も報酬上限を上回るケースはそれなりにある。

なお、過去スカウトで提示された最高額は1200万円だが、これよりはずっと低い値である (ちなみに、この額はSESによる提示であったが、一般的な勤務形態・時間であり、そこは譲れないということだったためご破産となった。数年前のことである)。

余談だが、報酬条件は実際のところ継続可能性に基づいて決定している。 希望額は前年の年収を踏襲しているが(あくまで「年収である」のがポイントでもある。自営業だし、前年がアレだしね)、最低額はもらわないと破綻してしまう。 これは、家賃が割と高いこととか、借金があること、その他もろもろによりそこそこ支払わねばならないお金があることが主たる理由である。

働きやすさは体の問題だ。 実際のところ、週に3日も外出すると体がもたないくらいには弱い。週3出るためには残り4日を犠牲にしてその3日のために調整するくらいのことは必要だ。 この体の弱さは複雑かつ複合的な問題であり、かなり検査はしているが、原因は判明していない。 活動に制限がかかるという意味では深刻だが、症状そのものは「安静にしていれば問題ない」程度の話であることから医師としてもそこまで究明に熱心ではないし、そもそも検査のコストも高いのでなかなか原因はわからないままだ。 だが、現実的に週3というのは限界に近いところであり、それを越えるものは「長くは続けられないだろう」(体を壊してやめることになるだろう)という前提がついてまわる。 実際、途中までは「週3上限」を前提としていた(途中で体を壊す覚悟でこれを緩和し、さらに後には「休みがちである」という言い方に緩和した)。

働きやすさという観点は別に存在はするが、週3での柔軟な出社を受け入れるくらいであれば許容できる可能性が高いため、特段に言及していない。

また、身体的なこと以外に目立って不利条件となりやすいことは以下だ。

  • 年齢。転職活動開始時で36歳
  • 学歴。高校卒であり、学校歴としても底辺と言ってよい
  • 職歴。多彩であり、IT事業・業務にも携わってはいるものの、いわゆるIT業界の勤務的がない
  • さらに、そもそも会社員としての勤務歴がない
  • 兼業。月に2日ほどの実務であるが、個人事業は個人活動を支えるものでもあり、廃業するのは活動や研究のベースがなくなってしまう上に、かなり大変なことになるので辞めることができない。

展開の詳細

プロローグ

前職(私がCEO/CTOだった)は2月の創立だが、前職に携わっていたのは(2018年の)12月からである。

元々の話では2月から報酬が出せるという話であったし、費用はファウンダー持ちであるということであったはずなのだが、結局私だけが(資金供給も含めて)持つ状態となり、さらに別の役員は自分の会社でサービスを利用しているにも関わらず利用料金を支払わないといったこともあり、「自分が使いたいサービスをただで作らせている」という状態であった。 5月時点で報酬が支払われないのであれば事業として成り立っていないということは伝えていたのだが、営業を担当している役員は一切の営業活動をせず、ここで別のサービスがあればすぐに販売できるというので2つ目のサービスが展開された。 だが、これも同氏がサービスを利用しただけで実際に営業活動をすることがなかった。

8月が報酬がなければ私の生活が破綻するリミットであり、必ず支払えるようにするとのことであったが、実際に営業活動をすることはなく、また利益から私の報酬を支払うことも反対した。 そのため、8月に辞意を表明したが、ファウンダーから資金を調達したとして引き留めがあり、これを受け入れたが、結局営業活動をすることはなく、ファウンダーから報酬のために預かったとしたお金が私に渡ることもなかったため、11月に辞任した。

この前職が開発活動も異常な密度であり、また手続きなどで忙殺され、運用も私ひとりで行っていたことから、とにかく多忙であった。無理に無理を重ねたため10月には倒れてしまい、2ヶ月ほどまともに動けない状態となった。何年ぶりかに発熱が41度を越えたため、なかなか大変であった。 自身の事業の営業活動をできなかったこと、事業の営業成果がおおよそ1年以上遅れとなるのが普通であることを踏まえ、転職という形をとる意思は10月には固めていたが、活動できたのは実質12月に入ってからである。

この話はもうちょっと複雑な部分がある。 というのも、10月にクラウドワークス経由でCAMELORESから連絡があり、そこから(CAMELORESの運営する)ソクダンにある案件であるパソナグループのもの(パソナjobhubの案件という意味ではなく、パソナグループそのものの案件)をやって欲しいという頼みがあった。 これが継続的にある案件であり、出社が週1で、週1出社ならまぁ悪くはない条件であったことから受け入れる方向だったのだが、途中でパソナ側が突如条件を変更したため破談となった。 結果的にこれが、「転職」という方向で固める経緯となった。この件がなければ多分両面作戦にしていたと思う。

11月, 12月

まず、11月に「見込みがありそうで、自分がしたいと思える仕事」であった虎ラボに直接応募した。 こちらは応募フォームで提示された回答期限をはるかにすぎた2月頃に見送りの回答がきた。

次に、イベントで縁があったCookpadに応募した。 こちらは最初に書類を通過してコーディングテストとなった後、非常に丁重なお祈りをもらった。 今後に含みをもたせるような内容であったが、それがテンプレート通りなのか、特段の対応であったのかは分からない。 ちなみに、コーディングテストに落ちる要素があったかどうかだが、少なくともACはしているはずである。 問題は難しいものではないものの、「経験がない」という意味で私には即答できるようなものではなかったのだが、時間内にsubmitしている。そして、この問題は私はどのように書くかの選択肢があった。というのは、普通に書くこともできるが、私の流儀に沿って得意な形で書くこともできる。それが期待された回答でないのは明らかだが、コード量は1/30程度まで減らすことができる(というより、ほんの数行で書ける)。ここで私は自分のやり方を貫くことを選択した。ウケるか、ダメか、どちらかという賭けだが、これが通れば強いと考えたのだ。 体の条件などがあるため、普通にできることを見せるのでは明らかに足りない。釘付けにして離さないようなパフォーマンスが必要であった。

これに続いてsatさんとのやり取りからサイボウズに応募した。 この応募は、やり取りを踏まえてGoを学習した上で行ったものである。 これに対してサイボウズは極めて丁重に対応してくれた。体の問題に対しても、詳細に聞いた上でどのようなサポートが必要か、どのように配慮すべきかといったことを確認された。 結果的には不通過となりお祈りされた。ただ、この応募は元より見込み薄ではあった。恐らく技術的には日本でこれ以上はないであろう部署であるし、そこで必要とされるスキルや知識で私の手持ちがまるでなかった。マッチングが悪いのだが、所属している人のレベルを考えると私の能力レベルでは出勤が少ないことを補うような要素がまるでない。 戦えるポイントの見えない非常に辛いものであった。

なお、12月は音楽家としての仕事を受けた。報酬額はだいぶ少なかったが、多少糊口をしのぐには役立ったかもしれない。

1月

年を越して、今度はエイシスに応募した。これは技術系ではなく経営系の部署である。 書類通過となり面接に進んだ。面接はかなり盛り上がったし、提示した内容も私としてはかなり自信があるものであった。 職場としても楽しそうだと思えたし、期待を持っていたのだが、不通過となり、これに関しては割とダメージがあった。 「自信を持っていて、かつ志望度が高いにも関わらず落ちる」の第一弾である。

ここからPaizaのスキル上げに入る。元々Sだったのだが、項目はあまり埋めていないし、解いている問題数も少なかったので、がっつりレートも上げることにした。 ただ、AのAC率があまり高くないことから、ゆるやかに上がるものの割と厳しい展開であった。生徒から「全体AC率が低いことが気になる」という指摘があり、B問題でAC率を上げた上でA問題も通し(S問題は時間がかかること、問題総数が少なく通らないと痛いことからやらなかった)、ついでにPerlも銀冠(A問題3問以上AC)にした。 そしてPaizaのプレミアムスカウトに登録したが、成果なく終了した。

自分が応募すべき求人口が見つけられなかったことから、この頃から発信に重きを置くようになる。 紹介による口もあったのだが、こちらも「連絡なし」に終わっている。

2月, 3月

2月に入って、高級路線(非常に条件を絞り混んでいく強気の路線)を諦める方向に入る。 というのは、基本的に私は「技術力すごい」がウリであり、実績としても高額のオファーが過去にそれなりにある。 Chienomiの閲覧者も多いことから、「すごさ」で売ることでマイナス要素を打ち消したいわけであり、負の実績(落選や低額でのオファー)を積み重ねると展開としては余計に苦しくなる。 だが、ブランドを維持して戦うビジョンが見えなかったことから、より「普通な」方向に入る。

2月にdodaに登録し、より本格的に転職活動を開始する。 実は3月から家賃支払いがある(前払いしているので3月まではない)こともあり、お金としては2月まででなくなってしまうという状況であったので、見通しとしては相当に辛い展開だ。

dodaのエージェントサービスを使う方向だったのだが、体のことについて「医師による『週何日なら働いて大丈夫』というお墨付きがなければ紹介できない」と言われ(そんなお墨付きを与える医師はいないはずだし、まして原因がわかっていない何らの問題に対してそんなことを言う医師はいない)、利用できないということになった。 なお、にも関わらずエージェントサービスのメールは毎日山のように届き、普通の応募かと思ったらエージェントサービスでしたという形で無視されるということが頻発した。

dodaで自分からは基本的に面接確約オファーに対して申し込む形をとった。 だが、そこで分かったのは「SESは価値観の根本から違うのでやめたほうが良い」ということだった。 まず仕事というものに対する考え方が合わないし、業界常識はコンピュータ技術とは違うという認識がないので前提が噛み合わないし、技術的な理解に乏しく技術的な話はまるで伝わらない。 技術的なことに関しては初っ端に「スキルは十分だと思います」で片付けられてしまうので、技術力の高さでアピールできる要素がなく、不毛なものとなった。

そのため、SESを避けるようにしたのだが、dodaでは「自社開発です!!」と言いながら実際はSESというものばかりであった。 結局、最後までdodaで面接したものに関しては全てSESであった。 そもそもどう探してもSESだらけである。

また、doda経由でいくつかのエージェントサービスから誘いがあった。 見込みがありそうなものについては受諾するようにしていたが、そのほとんどは勤務が週3〜4程度が限界であることを伝えるとそれ以上のアクションはなかった。 だが、唯一geeklyのみが非常に前のめりで、自信をのぞかせていた。

このことから3月はdoda+geeklyでの活動となった。 だが、geeklyは大量応募の方針をとったのだが、尽く落選となった。結果的にはgeeklyの落選数が多かったことが響いて200を越えることとなった。

この頃からCOVID-19(SARS-Cov-2)に関する話題が上がるようになってくる。 この流れは私にとってはかなり重要なことになった。

まず、3月の段階で私は若干自信を持ち始めていた。 この時点でお祈り数100を越えたわけで、まるで成果がなく、こうすれば良いという案もないことから普通なら絶望しそうなものだが、そもそも「就職活動」というものをしたことがない私にとってはこの転職活動は未知のものであり、手探りで進めざるを得ないものであった。 そのため、どの程度困難なのかを測ることもできなかったし、どうすれば成功するのかという手法も特になかった。 3月の段階で良い兆しはなかったが、一方で私のやり方が焦点を結び始めていることも感じていた。また、一方的なアクションに終わっていたものが除々にリアクションを得るようになってきたという点も大きい。 結果は期待はずれだとしても、色々と声がかかるようになってきたし、それも単に登録したから網にかかる、というようなものではなく、「私に」というものが増えてきていた。会う前に「Chienomiを読んだ」という人も増えてきて、転職がめぐり逢いだと考えれば、この状態で継続していければいずれ巡り合うと考えていたし、私の直感からすればあと2ヶ月ほどもあれば結果が得られるだろうと考えていた。

また、3月からTwitter上でも積極的に転職中であることを発信した。 色々と声はかかったし、応答があったものもあったが、結果的には全て著しく期待はずれであった。

この状況でのコロナ禍であるが、まずネガティブな点としては求人が減ったこと、案件受注で生きながらえるにしても市場に人が溢れてしまい取れる可能性がより減ったことがある。また、4月から生徒となる予定の人もいたが、これもキャンセルになってしまった。 ポジティブな点としては面接に行かなくて済むようになったこと。これは私の住まいの関係で面接にいくと結構費用がかかるのと、体力的な問題もあり日程調整が難しく進みが悪いという問題を解消できる。そして、家での耐久の流れになるため全体的に出費を抑えられる。家にいても怪しまれない(いや、元々家で仕事することが多いのだが)ことがある。

また、基本的にいつも私は不利条件を抱えているから、他の人が苦しいときは相対的に有利である。 それに苦しいときは世の中に動きがあるほうが易い。あくまで主観的に見るなら、コロナ禍はややポジティブであった。

4月, 5月

4月に入り、dodaでの「スカウトでない求人への応募」及びPaizaでの応募という手段を加えた。

Paizaは条件を満たしていれば面接確約である。Paiza側がコーディネーターのように働くことになる。 だがこれに関しては、私には結構な不満がある。 第一には、「実力だけで」というふうに言っているPaizaだが、実際には考え方は非常にSES的で、職務経験を重視しており、また典型的でないことに対してはクレームもついた。(簡単に言うと、私が事業者であることと、週5の勤務が厳しいことに対して受け入れられない旨言われた)

このこともあり、Paizaは計4件の応募にとどまっている。

4月にはgeeklyでの初書類通過があった。 これに関しては内容的にも有望視しており、ウケもよかったが、第二面接にて落選となった。

これに関してはもうちょっと話がある。 というのは、第二面接でコーディングテストがあり、非常に簡単な内容だった(はっきり言ってしまえば、factだった)のだが、この日はほとんど眠れていなくて頭が回っていなかった。そのため、連続WAしてしまったのだ。 あんまりにも詳しくて何日経っても忘れられず、後日Chienomiで記事にしてしまったくらいだ。 落ちたのはそれが原因かどうかは分からないが。

こうした経緯で5月に入った時点で選考中なのはPaizaにおける1社だけという状態だった。

Geeklyでようやく書類が通った1件はダメだったわけだが、メールした感じでは熱意を失っている感じであったこと、他と比べても結果が出ていないことからGeeklyによる応募はやめることにした。 一方、選考が進んだほうは第二面接まで進んでいる(というか、最初がカジュアル面談で、次が第一面接という扱いらしいので、第一面接といったほうが正しい)ことと、感触がよかったことから、とりあえずこの1件に集中することとした。 Paizaの利用も前述の通りここまでとなるため、残留するのはdodaだけである。

今後については事業のほうを今更ながら推進するか、また別の方法で転職活動をするか、少し立ち止まって考える方針とした。いずれにせよ、選考中の1件が優先である。

この間には、持続化給付金と緊急小口資金貸付の申請もあり、また確定申告もあったので、やることが結構多く、転職活動にさらなるリソースを割くのが難しかった、というのもある。

果たして、5月末にこの企業から内定が出て、これを受諾。 転職活動は幕を閉じた。

理想的な形にまとまる

そもそも就職というのは妥協ありきだと思っているので、妥協していたし、途中からはとにかく仕事をしなければならないという状況を受け入れて大きな妥協(恐らく体を壊すという結末になるであろうこと)もした。 だが、結果を見れば、「下げて下げて滑り込んだ」というような話ではない。

いや、状況自体は下げて下げてになっていたし、割と「生活できて、働きつづけられるところならどこでもいっか」になりつつあったのは事実である。

やはり価値というのは上げてナンボという面もあるので、条件を下げていくということは同時に自分の価値評価を下げていくということにもなり、非常に辛い展開であった。 転職活動中は、もちろん非常に苦しい状況の中出口が見えない、という意味もあるのだが、転職できたとしても良い展望を描くことができない、という意味でも経過とともに非常に辛かった。

だが、結果的には働きやすさで見ても、報酬条件で見ても、業務の内容で見ても、理想的といっていいようなものに落ち着いた。

一番問題だった体のことについては、コロナの影響もあり最初からフルリモートとなり、具合が悪いときも少なくないが、なんとかやっていけている。 それに、その上で体に配慮もしてもらえているので、かなり安心して働ける。 報酬面も希望通りとなったし、自由な開発スタイルで、開発の内容も手法も好きなもの。RDBMSを使わなかったり、シェルスクリプトを活用したりと、IT企業でも一般的にはあまりないような私の好みのスタイルが実現しているほどで、こんなに自分の好きな仕事ができる環境があってもいいのだろうかと思ってしまうほどだ。

つまり、下げている中ではもはや良い仕事は期待できないとあきらめていたのだが、結果としては望むべくもないと思っていたほど理想的な形になった。

教訓らしきものはないが…

私の経験はこうだったからこうだよ、なんて言えば記事としてはまとまりもよいのかもしれないけれど、実際のところ成功体験としては数が1なわけだし、一般化することなんて到底できない。

いくつか思ったことはある。

まず、転職の困難性だ。

「転職」をどういうものとして定義するかにもよると思うのだけど、転職が「会社替え」の話であればそんなに難しくないと思う。 同じような仕事をする、概念や文化や常識が共有されるような、同じような会社で所属を変更するだけなら、そこまで難しい話ではないだろう。

しかし、文字通り「職を変える」というとそう簡単な話ではなさそうだ。 そのあたりは日本の景気の悪さもあるし、典型に対する要求の強さも関係している。

だが、いずれにしても明らかなのは、「レールを逸脱した場合のペナルティは想像以上に重い」である。 「普通」であること、というか「典型」であることをやめてしまうと、日常的に強い弾圧を受けることになるが、それだけでなく、そこからある程度レールに復帰しようとしても非常に難しい。 もちろん難しいのは分かっていたが、その排除圧が想像以上だった。

だが、突出した実力があればそれを覆しうる、ということもわかった。 これは肯定的に取れるか難しいところだ。突出した実力があったところで、非常な困難の末に常識と典型の枠を破れるかどうかの境界にあるという話なのだから、それが希望だと感じるか、絶望だと感じるかは人によりそうだ。

ただ、実力というのは即時効果的というわけでもなかった。 ほとんどの場合「実力は十分」の一言で済まされ、技術的な話になることもなかったし、実力を評価されるということも基本的になかった。 つまり、能力が求められているわけではないって話である。

だが、最終的にはその能力に救われた形である。 それだけでなく、自分のスタイル、経験と選択、信念や人としてのあり方を含めた「自分を構成するもの」全体が採用につながった形だし、厭わず誠実に積み上げるものは身を助けうるということでもあるようだ。 それを、そこまでしてようやく最後の一欠片に希望になるのだと思うか、信じて積み重ねることは無駄にならないと思うのか。

アドバイスできるようなことは特にないが(ここに書いてない知識的な蓄積は結構あるが)、こうして私は今回も、本当にギリギリのところを生き残った。

いいのだ。 粘っこくしぶとく、しつこさで事を為すのは私の流儀だから。

Wrote on:
2020-07-28